会長挨拶
静岡・山岡鉄舟会は、幕末の日本を救った英傑、山岡鉄舟の業績を研究し、顕彰することを目的とし、平成16年(2004年)12月に発足しました。
以来20年を超え、全国に80名以上の会員組織として活動しています。
慶應4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗れると、新政府軍は江戸城攻撃のため駿府まで進んできました。
第15代将軍徳川慶喜の命を受けた山岡鉄舟は、単身駿府に乗り込み、官軍大総督府参謀、西郷隆盛との会談に臨み、江戸無血開城や徳川慶喜の処遇について合意しました。
その結果を受けた西郷・勝海舟・山岡鉄舟の話し合いにより、江戸は無血開城され、100万都市が守られ、日本が列強の植民地になることも避けられました。
維新後も静岡で旧幕臣たちの生活支援や牧之原の開墾などに活躍、請われて明治天皇の侍従として青年天皇の人格形成にも貢献しました。
このように、日本の歴史に大きな貢献をした山岡鉄舟と縁が深い静岡の地に住む我々は、山岡鉄舟の偉業を語り次いで行きたいと考えています。
ぜひご一緒に活動してまいりましょう。
静岡・山岡鉄舟会 会長 宮城島 安宏
| 会名 | 静岡・山岡鉄舟会 |
| 会長 | 宮城島 安宏 |
| 所在地 | 静岡県 静岡市清水区 沼田町9-30 若杉 昌敬(まさのり)方 |
沿革
| 平成16年(2004年) | 12月 | 鉄舟寺で発会式。会員40名、初代会長 松永昌 |
| 平成17年(2005年) | 4月 | 第1回年次総会(以降、毎年度総会を開催)会員70名 |
| 平成17年(2005年) | 7月 | 会報「事務局だより」第1号(7月号)を発行 以降毎月発行中 |
| 平成17年(2005年) | 7月 | 清水不二見公民館鉄舟忌奉納古武術演武会開催 鉄舟寺で鉄舟忌を開催 (以降7月19日の正命日は全生庵毎歳忌に会員数名が参加、7月~8月の日を選んで鉄舟寺での「鉄舟忌」を当会で開催。) (令和2年2020年からは、7月19日に鉄舟寺で毎歳忌を開催。当会も同日、二手に分かれて出席する。) |
| 平成17年(2005年) | 10月 | 第1回史跡探訪。望嶽亭(静岡市清水区由比)を訪問 (以降、毎年秋に史跡探訪を行う) |
| 平成18年(2006年) |
2月 | 第1回研究発表会開催 (以降毎年1月~2月に会員による研究発表会を開催) |
| 7月 | 鉄舟寺での鉄舟忌にあわせ、鉄舟書幅展開催 | |
| 平成20年(2008年) |
4月 | 第2代会長 松本検 就任 |
| 8月 | 松本検氏により鉄舟寺に鉄舟坐像が献納 | |
| 平成21年(2009年) | 1月 | 『利休にたずねよ』で会員山本兼一氏が直木賞受賞 |
| 平成22年(2010年) |
3月 | 山本兼一氏、山岡鉄舟の伝記小説「命もいらず名もいらず」発刊。 |
| 4月 | 静岡市葵区水道町の鉄舟居宅跡に記念碑建立 | |
| 平成24年(2012年) | 4月 | 第3代会長 花森憲一 就任 |
| 平成25年(2013年) | 4月 | |
| 平成26年(2014年) | 11月 | 若杉昌敬事務局長「山岡鐵舟空白の二日間」出版 |
| 平成27年(2015年) | 4月 | 第4代会長 宮城島安宏 就任 |
| 平成30年(2018年) |
4月 | 駿府会談150周年記念 次郎長生家~駿府伝馬町ウォーク開催 |
| 9月 | 静岡・山岡鉄舟会設立15周年記念・明治150年 古武道演武大会(清水総合運動場・武道場)開催。 |
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| 10月 | (史跡探訪)興津駅~薩埵峠~望嶽亭ウォーク開催 | |
| 令和6年(2024年) | 12月 | 同年の台風被害に際し、会員からの義援金341,000円を鉄舟寺に寄託。 |
| 令和7年(2025年) | 1月 | 設立20周年記念講演会・祝賀会を開催。会員84名 |
山岡鉄舟とは
山岡鉄舟
(やまおか てっしゅう)
鉄舟は戊辰戦争の時、徳川慶喜の意をお受け、江戸に迫る東征軍の陣地を突破して、大総督府の参謀西郷隆盛と駿府で直談判、江戸城無血開城への道を開き江戸を戦火の災厄から救うと共に徳川家の存続も成し遂げた。
後に西郷は、この時の山岡を「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ始末に困る人」と評して感嘆した。
明治元年(1868)駿府藩若年寄格幹事役
明治2年 静岡藩権大参事としてこの地に住み旧幕臣の無禄移住者の生計確保のために奔走し、城下の治安維持にも努めるなど活躍した。
殖産興業にも意を尽くし、牧之原大茶園の実現や清水次郎長の富士の裾野開墾事業推進に尽力した。
明治5年 西郷隆盛等の強い要請を受け、明治天皇の侍従となり、青年天皇の人格形成に大きな影響を与えた。
明治16年 清水区の補陀洛山鐵舟禅寺(元久能寺)建立を発願、明治43年、多くの人達の支援により完成した。
山岡鉄舟年譜
| 和暦 | 西暦 | 年齢 | 内容 |
| 天保7年 | 1836 | 1歳 | 江戸に生まれる。父は御蔵奉行小野朝右衛門。 |
| 弘化元年 | 1844 | 9歳 | 久須美閑適斎について眞影流を学ぶ。 |
| 弘化2年 | 1845 | 10歳 | 父の飛騨郡代に転任により飛騨高山へ転居。 |
| 嘉永3年 | 1850 | 15歳 | 書道を岩佐一亭について学び、入木道52世を譲られ一楽斎と号す。 |
| 嘉永4年 | 1851 | 16歳 | 井上清虎について北辰一刀流を学ぶ。 |
| 嘉永5年 |
1582 |
17歳 |
父、高山陣屋で病没す。 |
| 江戸に帰着する。 | |||
| 安政元年 | 1854 | 19歳 | 山岡静山に槍術を学ぶ。 |
| 安政2年 | 1855 | 20歳 | 静山急死のあと山岡家の養子となり、静山の妹英子と結婚。 |
| 安政3年 | 1856 | 21歳 | 幕府講武所の剣術世話心得となる。 |
| 安政6年 | 1859 | 24歳 | 終日立切二百面、7日間千四百面を行う。 |
| 万延元年 | 1860 | 25歳 | 清河八郎他と「虎尾の会」を結成し、尊王攘夷党を起こす。 |
| 文久2年 | 1862 | 27歳 | 浪士取締役となる。 |
| 文久3年 | 1863 | 28歳 | 将軍家茂の先供として浪士組を率いて上洛するも、間もなく江戸に帰る。 |
| 元治元年 | 1864 | 29歳 | 小野派一刀流の浅利又七郎義明に剣を学ぶ。 |
| 慶応4年 |
1868 |
33歳 |
徳川慶喜からの命を受け、東征軍参謀西郷隆盛と駿府で談判。 |
| 江戸城無血開城への道を開き、徳川家の安泰も約す。 | |||
| 明治2年 | 1869 | 34歳 | 静岡藩権大参事に任ぜられる。 |
| 明治4年 |
1871 |
36歳 |
茨城県参事となる。 |
| 伊万里県(現佐賀県)権令となる。 | |||
| 明治5年 |
1872 |
37歳 |
明治天皇の侍従となる。 |
| 三島龍沢寺の星定和尚について参禅する。 | |||
| 明治6年 | 1873 | 38歳 | 宮内少丞に任ぜられる。 |
| 明治7年 | 1874 | 39歳 | 内勅を奉じ、西郷隆盛を説得のため九州に差遣せらる。 |
| 明治8年 | 1875 | 40歳 | 宮内大丞に任ぜられる。 |
| 明治11年 |
1878 |
43歳 |
竹橋騒動に際し、御座所を守護する。 |
| 明治天皇北陸・東海地方御巡幸に供奉する。 | |||
| 越中国泰寺越叟和尚と相識る。 | |||
| 明治13年 |
1880 |
45歳 |
3月30日払暁、大悟徹底、天龍寺滴水和尚の印可を受ける。 |
| 無刀流を開く。 | |||
| 明治15年 |
1882 |
47歳 |
|
| 宮内省を辞任、引き続き宮内省御用掛を仰付けられる。 | |||
| 明治16年 |
1883 |
48歳 |
普門山全生庵を東京谷中に建立。 |
| 清水に補陀洛山鐵舟禅寺(元久能寺)の建立を発願。 | |||
| 明治17年 | 1884 | 49歳 | 白隠禅師の国師号宣下に尽力。 |
| 明治20年 | 1887 | 52歳 | 華族に列せられ、子爵を授けられる。 |
| 明治21年 |
1888 |
53歳 |
坐禅のまま大往生を遂ぐ。 |
| 東京谷中の全生庵に埋葬される。 |
山岡鉄舟と静岡
山岡鉄舟と静岡
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